はじめまして。
私は、札幌市の脳神経外科で働く45歳の男性看護師です。
家族構成は妻と中学生と小学生の娘2人、猫1匹、金魚1匹。
昨年の4月に近所のプロテスタントの教会で洗礼を受けました。
すでに私は中年のおっさんですが、クリスチャンとしては生まれたばかりの「赤ちゃん」です。
キリスト教ではイエス様を信じる決断をした瞬間、霊的に誕生する(ボーン・アゲイン)と言います。
どうして、牧師でも宗教学者でもないのに、このブログを始めたかというと、日本ではまだまだクリスチャン人口が少ないので、宗教に懐疑的な人たちが少しでも、
キリスト教に興味をもっていただきたい。信仰に導かれるきっかけを作りたい、
そのために、私が本で読んだり、自分自身で考えたり、実際に経験したことが、少しでもお役に立てたらと思ったからです。
職場では機会があれば、自分がクリスチャンであることを明かしています。
その度に感じるのは、日本人はキリスト教を誤解しているなぁ、ということです。(宗教そのものに対する誤解もあると思う。)
「実は、クリスチャンなんだ。去年、洗礼を受けたんだよ。」
とカミング・アウトした時のリアクションは、
「カトリック?プロテスタント?」
「何か悩みでもあるの?」「病んでるね~。大丈夫かい?」
というのが多いですね。
宗教というのは「頭が弱い」か「心が弱い」人がやるものだ。
ということでしょうか?
「お父さん、お母さんもクリスチャン?」
いわゆる「クリスチャン・ファミリー」かどうかを聞かれる場合もあります。
クリスチャンなった経緯は、これから少しずつ書いていきますが、少なくとも私がイエス・キリストを信じるようになったのは、
人生における大問題に直面したからでも、ましてや、誰かに入信を強く勧められたからでもありません。
私はどうも少し変わりものらしく、哲学的な問題を考えるのが好きな性分なようです。たしかに、だれでも大学生あたりに一度は、
「神様はいるのか?」
「人間は死んだらどうなるのか?」
「人は何のために生きているのか?」
などなど、「人生における究極的な問い」について、考えたり、悩んだりしたことがあると思います。
だけれど、社会人となって、日々の仕事に忙殺され、人生の意味など考える余裕もない。あるいはレジャーや趣味に明け暮れ、楽しい事もたくさんある、などなど…。
人生の意味など考えても答えなど見つかるはずもない、と諦めるのが、普通でしょう。
しかし私は、青年期に湧き起こった真理を求める情熱が冷めることなく、続いてきたようです。